
槍玉その43『偽書「東日流外三郡誌」事件』
公開または更新日:0001-01-01
サイト:新しい歴史教科書(古代)研究会
この本は、東北地方にあった王国についての伝承をまとめた、『東日流外三郡誌』をはじめとする、和田喜八郎氏所蔵の文書(和田家文書)は、全て和田喜八郎自身が書いた「偽書」である、ということが結論となっています。この件に新聞記者として係わった著者が、東日流外三郡誌に関連する著作権裁判と、「偽書ではない」と和田氏を擁護する派との論争などの顛末を纏めたものです。
この本は、東北地方にあった王国についての伝承をまとめた、『東日流外三郡誌』をはじめとする、和田喜八郎氏所蔵の文書(和田家文書)は、全て和田喜八郎自身が書いた「偽書」である、ということが結論となっています。この件に新聞記者として係わった著者が、東日流外三郡誌に関連する著作権裁判と、「偽書ではない」と和田氏を擁護する派との論争などの顛末を纏めたものです。
青森県五所川原市飯詰の和田家に推定一万点を越えるとされる先祖より受け継いだ、あるいは山中より発見された文書・遺物がある。文書は数千冊、遺物は一万点にも及ぶという(当主和田喜八郎氏談)。まさに「北の正倉院」とも称すべき様相である。中でも文書類は「和田家文書」と称され、その内容は津軽(東日流)の古代より近代に至る伝承などが記された一大伝承史料群である。
『東日流外三郡誌』は、古史古伝の一つで、古代における日本の東北地方の知られざる歴史が書かれているとされていた、いわゆる和田家文書を代表する文献。ただし、学界では偽作説が確実視されており、単に偽作であるだけでなく、古文書学で定義される古文書の様式を持っていないという点でも厳密には古文書と言い難いと言われている。しかし関係者の間では「古文書」という呼び方が定着しているため、本項目もそれに従うことにする。
東奥日報の記者の斉藤光政氏は、別府の歴史研究家・野村氏が、『東日流外三郡誌』の発見者・和田喜八郎氏を訴えた民事訴訟の件を前任の記者から引き継いだ。これが、斉藤光政氏がこの事件と関わりを持った始まりで、以来、今日まで『東日流外三郡誌』と和田家文書を追い続けている。
『東日流外三郡誌』(つがるそとさんぐんし)は青森県の和田家という旧家の屋根裏から戦後に発見された古文書である。その存在が広く知られるようになったのは1975年、市浦村(現在は五所川原市に併合)が村史資料編としてその一部を活字化したからである。